ぶどうの会について

いわゆる差別用語を含む作品に対する考え方について

歌詩の中の差別用語の件、なかなか一言で語りきれない大きな問題です。
この問題で、表舞台から消えて行った歌、歌詩を作り直した歌、果てには、
曲と詩を、全く新しい物に置き換えてしまった曲さえあります。

実際に、そういった言葉に良くない思いを抱えている方は沢山いらっしゃると思います。
私どもは決してその事に無関心ではありません。
しかし、その詩の中でそういった言葉が差別的な文脈の中で使われているのかという評価も無く、
一方的にその曲の作られた時代と背景を、現代に置き換えて勝手に変えてしまう権利は、
誰にもないのではないでしょうか。

この言葉の問題で、表舞台から消されていった多くの曲を思うと、改作や、詩の変更は、
やはり一種の暴力だと感じます。
時代と共にそのありようを変えていく、言葉狩りに類することに、手を貸したくないと考えています。
と同時に、良きことも、悪しきことも、合わせて表現することが、再現芸術である音楽に関わる
私たちが背負わねばならない、大きな問題の一つだとも考えています。

問題とされる言葉を含む曲を演奏しないという選択肢は、常にあると思います。
その中で、取り上げるからには、作詩者、作曲者の想いをその通りに表現すべきとの考えから、
原曲の詩に、恣意的な変更を加えることなく演奏して参りたいと思います。
そして、そういう形で演奏することの結果に対する批判は、お受けしたいと考えています。

私どもの考えをご理解いただき、演奏会にお越しいただければ幸いです。

        ぶどうの会代表
            田中 明

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